【原子力資料情報室声明】13年を経て、地震・津波・放射能
13年を経て、地震・津波・放射能
2024年3月10日
NPO法人原子力資料情報室
2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震によって東日本大震災が発生した。巨大地震と大津波に襲われた東京電力福島第一原発が過酷事故を起こして爆発。膨大な量の放射性物質が環境にばらまかれた。
あれから、すでに、13年を数える。だが、事故はまだ終わっていない。とりわけ、事故を起こした原発の後始末が遅々として進まない。後始末と言いつつも、どのような状態にするのか、具体的な最終状態を決めることができないでいる。放射能という存在がそうさせているのだ。事故から30~40年で終息するだろうか。その見込みを立てることができない。百年作業になるのではないかとおそれる。
誰もが、こんな深刻な事故は二度と起きてはならないと願ったはずだった。厳しい自然現象に直面するとき、原発というシステムは技術で制御できるものではない、と判ったからだ。だが、岸田GX政策は、気候変動に対応すると称して、原発回帰を謳う。まるで、福島原発過酷事故を無視するかのように。
脱炭素のために、原発は欠かせない、国の全面的援助のもとに新型原子炉にも取り組むと言う。しかし、核ごみの文献調査も、使用済み核燃料の後始末も、核燃料サイクルの根幹をなす六ヶ所再処理工場も、行き詰まって見通しが立たないでいる。それを、まるで知らぬかのように。
長年にわたって破綻してきた原子力政策を、国は見直すことをしない。
新年の第一日、夕刻、マグニチュード7.6の能登半島地震が起こった。家屋は崩壊し、道路は寸断され、地盤は沈下し、かつ最大4メートルも隆起する地殻変動が起きた。自然災害とは言うものの、〈活動している地球〉に起因して繰り返して起こる自然の営みである。技術でそれを制御することはできない。
北陸電力の志賀原発2基は停止中だったが、深刻な被害を受けた。かつて計画されたが、根強い反対運動で撤回に追い込まれた珠洲原発が、もし実現していたなら、福島事故を超える大事故になっていたに違いない。避難がままならず、人々は致死的な量の放射線で被ばくせざるを得なかっただろう。 13年前の3月11日に発せられた「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。世界で最大級の変動帯に位置する日本列島に、安全優先で原子力発電所を立地することはできないと、国は認識すべきではないか。