『原子力資料情報室通信』403号(2008/1/1)より

2008年:4つの阻止目標

西尾漠

柏崎刈羽原発の運転再開をとめる

 「2007年へ希望をもって」と、昨2007年1月1日号では題した。脱原発の目標にとって厳しい年になるとの覚悟の上に、なお希望を手放さない決意を述べた次第だ。それから1年。事態はやや希望の側に傾いて推移した。「原子力ルネサンス」の掛け声は早くも語勢を失いつつある。
 それは喜ばしいことだが、7月16日には中越沖地震が柏崎刈羽地域を襲い、住民に大きな犠牲を強いた。柏崎刈羽原発が「原発震災」の一歩手前で踏みとどまったのは偶然のたまものであり、不幸中の幸いでしかない。柏崎刈羽地域の人々が1日も早く元気を取り戻せるよう祈りつつ、改めて「原発震災」を起こさせないための取り組みを提起する必要があるだろう。原子力資料情報室では、公開研究会などをくり返し開いて、幅広い訴えかけをつづけている。
 ところが東京電力はあくまでも柏崎刈羽原発の運転を再開しようと、新潟県知事の反発を買ってまで露骨に画策している。設計時の想定をはるかに超える地震動を経験した以上、現実の危険性からも原子炉設置許可の手続きからも、運転再開はできないはずなのに。
 火事場泥棒的に「地震後の維持基準」をつくろうとするような動きを、決して許してはならない。

六ヶ所再処理工場の本格運転をとめる

 2007年内を「死守する」(2007年2月1日付電気新聞)としていた六ヶ所再処理工場の本格運転入りは、2008年2月に延期された。それもまた先延ばしとなることは確実だ。政府や電力業界は焦りに焦り、試運転(アクティブ試験)を端折って本格運転に突入しようとしている。ところが次々と「想定外」のトラブルが起き、延期がつづく。まるで工場自体が本格運転入りを嫌がっているかのようだ。
 実を言えば政府も電力業界も、六ヶ所再処理工場の運転を望んでいないという。なのになぜ本格運転入りを急ぐのかと言えば、逆にそうしないとブレーキがかけられないからだ。現状のようにずるずると遅れているのはマズイ。本格運転入りをすることで、ともかくも「原子力政策は正しかった」と宣言をしたい。その後でなら、誰も責任をとらずに「プルトニウムの需給を見て」との口実でペースを落とせる・・・。
 そんな思惑で試運転が強行されているのは、たまらない。放射能の海洋放出を憂慮してサーファーたちの再処理反対の運動が起こり、農漁業者と生協や消費者団体などが手を結んだ「『六ヶ所再処理工場』に反対し放射能汚染を阻止する全国ネットワーク」が7月28日に産声をあげた。
 何としても世論を喚起し、六ヶ所再処理工場の運転断念を実現したい。
 イギリスでは5月23日に原子力に関する協議文書(意見公募に向けた文書)が発表され、新規の原発建設を検討対象としながらも「発生する使用済み燃料は再処理を行なわない方針で進めるべき」としている。さらに7月14日に発表された協議文書では、未だ実施されていない他国からの受託再処理の一部または全部をやめて、すでに回収済みの自国の使用済み燃料からのプルトニウム、ウラン、高レベル廃棄物をそれらの国に返還する「仮想再処理」が提案され、11月30日に決定された。事故続きで処理が遅れている一方、回収済みのプルトニウムなどを持て余している同国にとってみれば、一石二鳥の妙案ということだろうか。いずれにせよ再処理に未来はない。
 「再処理復活」と報じられていたアメリカでも10月29日、GNEP(国際原子力パートナーシップ)計画の推進者であるエネルギー省の委託で報告書をまとめた米国科学アカデミーの研究委員会が「大規模な再処理実証計画あるいは商業再処理は進めるべきでない」と結論づけた。計画の見直しは必至である。

「もんじゅ」再開とプルサーマル計画をとめる

 上述の米国研究委員会報告書で「ナトリウムのかかわる事故は深刻に、壊滅的にもなりうる」例として挙げられた高速増殖原型炉「もんじゅ」は、8月30日に改造工事が完了し、翌31日からプラント確認試験に入った。ただし、08年5月とされていた試運転再開の予定は10月に延期されている。1995年12月8日のナトリウム漏洩火災事故以来12年以上も止まったままの炉を動かそうというのだから、慎重にならざるをえないようだ。
 プルトニウム-241のアメリシウム-241への崩壊による燃料の劣化を補うための、プルトニウム含有率を増やした新規燃料への順次取替えが5月25日に日本原子力研究開発機構から経済産業大臣に申請され、7月4日に行政庁審査が終了、原子力安全委員会がダブルチェックを行なっている。しかし賞味期限切れなのは燃料だけではない。機器もナトリウムも、また運転に携わる「人材」も、そもそもの開発目的も、賞味期限切れは免れない。
 原子力発電に反対する福井県民会議は「もんじゅ監視委員会」を設置して「もんじゅ」の健全性への疑問をまとめ、10月27日には敦賀市で原子力機構との公開討論を行なった。そこでも疑問は何ら解消されていない。県民会議や福井県平和センター、原水禁、原子力資料情報室などでは事故から12年目の12月8日、半周ながら三重四重に福井県庁を取り囲む行動で運転再開への反対を訴えた。
 高速増殖炉開発の頓挫のしわ寄せと言うべきプルサーマル計画では9月3日、玄海3号炉用MOX燃料の輸入燃料体検査の申請がなされ、同月10日には伊方3号炉用MOX燃料でも申請があった。10月9日に仏メロックス工場で、玄海3号炉用燃料の製造が開始されている。とはいえ、おっかなびっくりの様子は、燃料や集合体の部品をわざわざ日本から持ち込むという申請書の記述からもうかがえよう。
 関西電力の森社長が11月26日の記者会見で高浜3、4号炉でのプルサーマル計画再開の準備を開始できるかどうかの検討に入りたいと表明。同月29日の記者会見で北海道電力の近藤社長が年度内にも泊原発でのプルサーマル計画に地元了解を申し入れたいとの考えを示した。中部電力の浜岡4号炉でのプルサーマル計画には同月27日、地元の御前崎市議会が全員協議会で受け入れを了承した。
 六ヶ所再処理工場の本格操業開始の条件整備である。言い換えれば「もんじゅ」の再開もプルサーマル計画も、その阻止は六ヶ所再処理工場の運転継続の根拠を直撃する意味合いをもっているといえる。
 イギリスでは使いみちもなく溜め込まれたプルトニウムは廃棄することが、英王立協会や放射性廃棄物管理委員会によって論じられている。

高レベル廃棄物処分場への応募をとめる

 高レベル放射性廃棄物処分場のゆくえが定まらないことも、六ヶ所再処理工場の本格運転入りに影を落としている。候補地の公募開始から4年経った2007年1月25日、高知県東洋町長による応募が初めて受理されたが、リコールの動きの中で町長が辞任しての4月22日出直し選挙で応募反対の新町長が圧勝。翌23日に応募は取り下げられた。
 文献調査に入れる地点が当初もくろみの5地点どころか1地点も決まらないことに業を煮やした政府は9月12日、国から市町村に申し入れ、市町村長が受諾すれば文献調査に入れる道もつくることを総合エネルギー資源調査会電気事業分科会原子力部会の小委員会に提案、承認された。
 10月29日、原子力発電環境整備機構は再度全都道府県と市町村に公募書類を送付した。ところが、その書類では、6月6日に成立した「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」の改正によりTRU廃棄物の併置処分も考えられていることに一言も触れられていない。TRU廃棄物が加わることで危険性がより高く、かつ身近になることは間違いないにもかかわらず、黙って公募をつづけているのは詐欺に等しい。
 応募の動きを封じ、改めて「どこでも反対されるものをどうしたらよいか」の大議論を起こす必要がある。政府が全都道府県での説明会を実施するという2008年は、その好機かもしれない。


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