【原子力資料情報室声明】3・11 から9年 - 遠く、近く
3・11から9年 - 遠く、近く
2020年3月11日
NPO法人原子力資料情報室
3歳と1歳の子を連れて被災地から新潟に自主避難した母親の苦悩を聴いた。上の子は中学進学を控えていて、避難先でできた沢山の友達と別れたくない。母親は故郷の地に戻りたい。「僕がいろいろ言っても僕たち家族は元の町に帰るんだよね」と複雑な、割り切れない思いを口にする。
福島県で、富岡 – 夜の森 – 大野 – 双葉 – 浪江の20.8キロが9年ぶりに開通し、来る3月14日には、常磐線が全線復旧する。惨事から10年目を迎えて、帰還困難区域の一部で避難指示が解除される。だが、全域避難の双葉町では調査に回答した1,399世帯の64%が「戻らないと決めている」、24%が「判断がつかない」、11%が「戻りたい」だった。一部解除されている大熊町、富岡町でも「戻らない」はそれぞれ60%、49%だった。すでに町に帰っている世帯は大熊町2%、富岡町7%だ(2019年8~11月、県・3町の合同調査)。
10年もすると、3歳児は中学生になり、復旧と呼ばれる姿も垣間見える。フクイチ・プラントも見かけが変わってきた。世論も少しずつ変化してきた。だが、大気、水、大地、食物の安全性は、十年一日、不変であることが私たちの生きる基本をなしている。その不変性があの3・11以来、大きく崩れた。にもかかわらず、〈科学的には安全だ〉と言い張って、オリンピック・パラリンピックを旗印にフクシマの復興推進を唱える人たちがいる。
溜まり続ける放射能汚染水の処理、放射能汚染土の再利用、多発とみられる甲状腺がん、見えない廃炉への道、廃炉状態の実際、ICRPの新勧告案等々、難題が山積している。だが、科学の名を掲げて市民を説得しようとする動きが目立つ。
〈被ばく量は小さい。科学的には安全だ〉と言うが、果たしてそうか。そもそも、根拠にしているデータは信頼できるのか。データが意味を持つ条件は成立しているか。実験室とちがって自然界では実態が複雑で、コントロールができない。因果関係を知るために疫学調査に頼らざるを得ないところもある。そこでは、何%の信頼区間でという議論になる。考慮されないひとたちの存在は切り捨てられる。
科学・技術の分野で見解が分かれるとき、もっとも批判的・悲観的な見解に従うことが、現代社会に生きる私たちにとって基本の考え方である。とくに、自然現象に対して科学が本質的に抱える曖昧性を考慮しなければならない。そうでないと、科学・技術が高度に発達した現代社会において、ふつうの市民たちの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法第25条)が侵害されてしまう。
犠牲になった人たちの無念の思いを心に刻んで、過ちは二度と繰り返さない気持ちを新たにしたい。
CNIC Statement: Nine years since 3.11 – Far away, but very close
CNIC Statement: Nine years since 3.11 – Far away, but very close