十年一昔、十年一日
3歳と1歳の子を連れていわき市から新潟に自主避難した母親の苦悩を、胸ふたぐ思いで聴いた。この2月はじめ、東電柏崎刈羽原発の運転差止め訴訟の原告意見陳述の場だった。上の子は中学進学を控えていて、避難先でできた沢山の友達と別れたくない。母親は故郷のいわき市に戻りたい。「僕がいろいろ言っても僕たち家族はいわきに帰るんだよね」と複雑な、割り切れない思いを口にする。
報道によれば、富岡-夜の森-大野-双葉-浪江の20.8キロが開通し、来る3月14日には、常磐線が全線復旧する。また、惨事から10年目を迎えて、この3月には帰還困難区域の一部で避難指示が解除される。だが、全域避難の双葉町では調査に回答した1,399世帯の64%が「戻らないと決めている」、24%が「判断がつかない」、11%が「戻りたい」だった。一部解除されている大熊町、富岡町でも「戻らない」はそれぞれ60%、49%だった。すでに町に帰っている世帯は大熊町2%、富岡町7%だ(2019年8~11月、県・3町の合同調査)。
十年もすると、3歳児は中学生になり、復旧と呼ばれる姿も垣間見える。フクイチ・プラントも見かけが変わってきた。世論も少しずつ変化してきた。十年一昔である。だが、大気、水、大地、食物の安全性は、十年一日以上に不変であることが私たちの生きる基本をなしている。その不変性があの3・11以来、大きく崩れた。にもかかわらず、〈科学的には安全だ〉と言い張って、オリンピックを旗印にフクシマの復興推進を唱える人たちがいる。
しかし、〈科学的には安全だ〉という中身は実に曖昧である。そもそも、信頼できるデータがないうえに、データの成り立つ条件は限られている。実験室とちがって自然界では条件が複雑で、コントロールができない。因果関係を知るために疫学調査に頼らざるを得ないところがある。そこでは、何%の信頼区間でという議論になる。いわば、平均値思想というべきものである。
溜まり続ける放射能汚染水の処理、放射能汚染土の再利用、多発とみられる甲状腺がん、廃炉工程の5訂版、ICRPの新勧告案等々、科学の名を掲げて市民を謀(たばか)るものである。これらの問題を、少し別の角度から考えてみる。
まず、2019年9月19日の東電刑事事件の判決の論理についてである。
決定的な惨事をもたらしたのは津波だが、「津波が襲来する可能性について、どの程度の信頼性、具体性のある根拠を伴っていれば予見可能性を肯認してよいのかという点に争いがある」と裁判長は言う。地球科学のすぐれた専門家たちが議論をつくして、国の公的機関「地震調査研究推進本部」で公表した2002年の「長期評価」を捨て、異論のある専門家、しかも東電に利害関係の深い専門家たちの意見に裁判長は与した。
科学・技術の分野で見解が分かれるとき、もっとも批判的・悲観的な見解に従うことが鉄則である。現代社会に生きる私たちにとって基本の考え方である。とくに自然現象に対して科学が本質的に抱える曖昧性を考慮すれば、この鉄則に従わねばならない。気候危機ともいわれる台風、大雨、気候不順をみればよい。そうでないと、科学・技術が高度に発達した現代社会において、ふつうの市民たちの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法第25条)が侵害されてしまう。東京電力経営陣の誤った判断の結果、現実に、かぞえあげることができないほど多くの犠牲が出た。そうであるから、原発の運転を差し当たって止めることに躊躇してはならなかった(この項、次号に続く)。
(山口幸夫)