2021年を迎えて ―市民の意見を実現させよう―

『原子力資料情報室通信』第559号(2021/1/1)より

山口幸夫

 放射能からのがれようと緊急に避難した人たちは、その地に慣れ親しんだであろうか。「秋十年(ととせ) 却(かえ)って江戸をさす故郷(こきょう)」(芭蕉)という古人の心のように、その地を「故郷」と思うようになったであろうか。経緯からすると、そういう気持とはほど遠いにちがいない。わたしたちは、もう「フクシマ十年」か、いや、未だ十年か、という思いの間でいったりきたりする。
去年は、いくつもの大きな事態が生じた年としてながく歴史に残るだろう。しかも、それらはいずれも新しい年に引きつがれており、わたしたち市民にとっては根本的な対応が迫られている。
正月明けのころから正体不明の新型コロナウイルスの出現に驚かされ、行政は右往左往しつづけた。人と人との交流が絶たれ、学校も働き方も、なが年にわたって根付いていた慣習も、ことごとくが経験したことのない状態に陥った。社会そのものが未知の大海を漂っているかのようである。この新感染症への対応に医療は苦しめられ、パンデミックはいつ終息するとも知れない。自然生態系にたいする人間社会の、あくことなき攻撃的姿勢の結果であると解される。そうだとすれば、現代文明のあり方がおおもとから問われていることになる。世界的にみれば、この1年間で、およそ8千万人が感染し、180万人が亡くなった。しかも、その勢いが衰える気配はない。
去年9月、8年近くもこの国の民主主義を蹂躙しつづけた政権は座を明け渡したが、新政権の劣化は止まらない。学術会議の交代人事の一部を拒否し、求められても理由を示さない。国会を軽視し、説明なしの行政判断をつづける。原子力政策においても、利益共同体の原子力ムラを温存させ、政策の変更をもとめる圧倒的多数の市民の意見には耳を傾けようとしない。独断政治というべきである。
原子力分野においては、大きな岐路に直面していることが、ますます鮮明になった年でもあった。1938年に発見された核分裂現象が何よりも先に核兵器に応用され、45年のヒロシマ・ナガサキの惨劇を生んだ。いま、人類の存続を脅かす、その核兵器を禁止しようという国際条約が発効しようとしている。だが、核分裂の〈平和利用〉と謳った挙句に、フクシマを引き起こした原子力発電をやめようという姿勢が新政権にはうかがわれない。
スウエーデンの15歳の少女が始めた果敢な行動を契機に、若い世代にも気候危機がひろく認識されるようになった。新政権は、2015年のパリ協定と近年の激しい気候異常がつづいてきたことと国際世論とに押され、去年、2050年に温室効果ガス排出の実質ゼロを打ち出さざるを得なくなった。
振り返ってみれば、当室の故高木仁三郎前代表が雑誌「科学」に紹介記事「温まりつつある地球」を書いたのが1976年4月、「二酸化炭素の温室効果」説を紹介したのは、77年12月だった。それらがようやく、現実の大問題になってきたのである。

10年経った東電福島第一原発
〈福島復興〉の掛け声とは裏腹に、厳しい現実がつづく。除染できない山や森林など自然生態系の汚染、子どもたちの甲状腺がんと住民の被ばくからの健康不安、土壌の汚染、生まれ育った地に戻れない人々、きわめて不十分な被災者への補償、溜まりつづける放射能汚染水、デブリの取り出し等々、解決したものは何一つとして無い。東電と国の廃炉計画は、懸念されていたとおり、計画通りには進んでいない。そもそも「廃炉」とはどの状態をいうのか、決まっていない。根本的に方針を変えなければなるまい。
とりわけ、20年夏までに決めるといわれていた放射能汚染水の海洋放出は、漁業者や諸外国からも加わった多くの反対意見によって、止められている。原子力市民委員会は放射能汚染水の百年規模の地上管理を主張し、実行可能な案を示している。だが、「基準」以下に薄めれば、何の問題もないというのが、当初からの原子力規制委員長の言い分であった。
原子力規制委員会と原子力規制庁とは、原発推進のための規制をしっかりやる、それはできる、というタテマエで存在している。原発は安全にコントロールできるとの立場である。「基準値」とは、そういう立場からの値であって、人々が安心できるものではない。
かつて、世界中の国々が〈平和利用〉は可能だと思った時期はあった。しかし、大小さまざまの、数多くの原発事故、とくに大事故のスリーマイル、チェルノブイリ、フクシマとつづいて、現在は多くの国々が考えを変えたのである。

誰が、どうやって決めるのか

54年3月1日、米国のビキニ水爆実験で、日本の千隻近いマグロはえ縄漁船が被ばくした。その翌日、突如として中曽根康弘議員が原子炉予算を提出した。「学者がぐずぐずしているから、札束で頬っぺたをひっぱたくのだ」と語ったと伝えられる。ヒロシマ・ナガサキにこだわって学者たちの慎重な議論では、埒(らち)があかないと中曽根議員は見たのであろう。
3.11以降、今まで9基の原発が再稼働したが、いずれも加圧水型原子炉であった。次いで、沸騰水型原子炉の東海第二(茨城県)、女川2(宮城県)、柏崎刈羽7(新潟県)の3基が、「地元合意」を待つ段階だとされている。
しかし、「地元」とは何処をいうのか。電源3法交付金を受け取る自治体と見なされているが、フクシマ核惨事で被ばくした人たち、避難せざるを得なかった人たちも地元と見なされるべきではないか。原発からの距離で決めるのには理がない。
2013年9月から7年間にわたって新潟県技術委員会の6つの「課題別ディスカッション」チームは、東電事故原因の特定と進展のプロセスとを明らかにすべく取り組んだ。メルトダウン隠しなど、東電の誤りが明らかになった。だが、依然として不確かなことが多い。133点にのぼる課題、教訓も明らかになった。東電の主張と委員の主張との不一致も少なくない。現場検証をしようにも、放射線レベルが高くて、ほとんどできない。それでも、否定しようのない事実がはっきりした。津波が到達する以前に、地震動によって1号機の配管系に破損が生じ、その後の事故進展に大きな影響を及ぼした、というものである。また、1号機原子炉の上蓋のシーリングが緩み、大量の放射性物質が外部に漏れ出た疑いなどもあらたに問題になった。
新潟県技術委員会では、この福島事故検証結果を踏まえて、柏崎刈羽原発7号機の安全性に関する審議を始めるが、最終的に市民たちの意思はどのように実現されるであろうか。県内各地で綿密なタウンミーテイングをひらき、期限を切らずに、徹底的な意見交換を重ね、市民たちの合意を実現させることが不可欠である。
茨城県でも宮城県でも、県独自の検討委員会を持っている。そこで、重要なことは、検討委員会の結論をもって、市民に同意を強いないことである。「地元」とか県知事が最終的判断してはならない。
秋遅く、北海道の寿都町と神恵内村とが高レベル放射性廃棄物の最終処分場の候補地として、NUMOの文献調査を受け入れることが決まった。経緯は、まるで、かつての中曽根議員の「札束で頬っぺたをひっぱたく」やり方である。放射性廃棄物問題は、原発の解決できない根本的な矛盾であり、原発をやめることを国が決めない限り、最終処分場の議論は進むはずはない。
気候危機とコロナ禍に苦しみつつも、核燃料サイクル政策、各地の原発裁判、再稼働など、市民たちの主張が通るような年にしたいと思う。暮れの大阪地裁における、大飯原発3、4号機の設置変更許可処分の違法判決はじつに元気づけられる判決だ。