第6回「原発と人権」全国研究・市民交流集会が開催される

『原子力資料情報室通信』第592号(2023/10/1)より

残暑の厳しい中、9月2-3日に「第6回「原発と人権」全国研究・市民交流集会」が福島大学を借りて実施された。今年のタイトルは「人間・コミュニティーの回復と原発のない社会をめざして-事故から12年のいま-」。主催は同名の実行委員会で、研究者、弁護士団体、市民団体など18団体で構成されている。当情報室も構成団体に参加した。同集会は2012年の第1回を皮切りに、14年、16年、18年、21 年と開催を続けてきた。新型コロナの関係で21年はオンラインのみだったので、対面集会(オンラインと併用)は5年ぶりであった。申し込みはリアル100名、オンライン103名の参加。
 福島事故で地域や人々が受けた甚大な被害の実態を正確に把握してこれを参加者で共有すること、政府の原発回帰政策を事故原因の究明と被災の実態の視点から捉え直すことが主催者の問題意識であった。
 初日は記念講演、現場の声、基調報告、パネルディスカッション。またこの日に「福島第一原発からの「処理水」海洋放出に関する特別決議」が採択された。2日目は6つの分科会で構成された。ここでは、現場の声と第4分科会を紹介したい。

◆柳井 孝之さん(小名浜機船底曳網漁業者協同組合)
海洋放出に対する漁業者の反対の姿勢は変わっていない。今回の強行は、他の分野でも住民無視の決定がされてしまうことを示している。今後とも漁業を継続し、安心できる質の良い魚を消費者へ届けていきたい。しかし、放出による水産物の値崩れが心配だ。風評の根底には政府・東電への不信感がある。東電は補償すると言っているが、長期に対応するのか、不透明だ。第一原発港湾内の汚染魚の除去を東電に求めている(湾内から抜け出た高汚染魚が試験操業で捕獲されないように)。廃炉と復興の両立というが、廃れる産業が出れば本末転倒になる。

◆馬場 績さん(津島原発訴訟原告団)
津島は1000年以上の歴史がある街だ。小高原発の予定地は東北電力の撤退で町に無償提供された。ここを使って福島水素エネルギーの実証事業が行われているが、地元企業には役立たず、復興につながっていない。また、福島国際研究教育機構(F-REI)に地元から人材育成の要望を出しているが、対応が消極的だ。復興のあり方が問われている。帰還した被災者の生活は孤独で自死が出ている。帰還困難区域なので死んでも津島の墓には入れないでいる。津島地区にある特定復興再生拠点が避難解除されたが、居住者は7世帯8人、うち地元の居住者は2世帯のみに留まっている。背景にはインフラの整備ができていないからだが、解除ありきで進められたことが問題だ。住民と共に青写真を描くことを行政に求めたい。

◆小林 友子さん(双葉屋旅館/未来基金代表)
南相馬市小高区で旅館を営む。同区は13,000人ほどが避難した。帰還者は3,000人ほど。東日本大震災・原子力災害伝承館には南相馬からの避難の記録がない!避難生活や避難の中で亡くなった人々、賠償金の差で住民の間に深い分断ができたこと、特に子ども達が別なところで生活をしていると、生活の孤独感や悲しさについて声を出せない人が多いことなど、記録を伝えていくことが大切だと考え、アーカイブプロジェクトを立ち上げて活動している。

◆鴨下 美和さん(福島原発被害者東京訴訟原告団)
夫婦ともに研究者で放射能や被曝に関する知識があった。いわき市に住んでいたが東京に避難した。区域外広域避難者との位置付けで、さまざまな非難や誹謗中傷を受けることになった。子どもも学校でいじめられた。結局、夫のみいわきに戻り、週末だけ東京に来る生活を続けている。いわきに戻る時に子どもたちは明るく見送るが車が見えなくなると激しく泣き出してしまう(会場ではハンカチを目に当てる人が多くいた)。

◆宗像 幹一郎さん(福島県原木椎茸被害者の会)
30年にわたって原木椎茸の栽培を行ってきた。福島原発事故で全てを失った。400軒ほどの椎茸農家がいたが、事故で出荷停止が指示され、栽培できなくなり、廃業に追い込まれた。自分はその時ちょうど60歳。実情を伝えたいと、写真展を行ったり、ドキュメンタリーを作成するなどした。椎茸1kgあたり100ベクレル以下にするには、原木からの移行率を考えて50ベクレル/kg以下のものを使う必要があるが、山全体が汚染されており、そんな木はない。普通に山の木を使えるようになるには長い時間が必要。阿武隈150年の山研究所を発足させた。
 ひとり一人のお話からは、事故から12年が経っているものの、人々の時間は止まったまま、人間の復興には程遠い状況であることがひしひしと伝わってきた。


 2日目の分科会は、それぞれ、①復興再生、②訴訟、③核兵器と原発、④再稼働のもつ危険性、⑤メディア・ジャーナリズム、⑥原発事故による分断をどう乗り越えるか、だった。なお、オンラインで行われた「核兵器と原発」の分科会は当室の松久保肇事務局長がプレゼンを行った。
 筆者は原子力市民委員会の菅波完氏とともに、第4分科会を担当した。第4分科会は終日の取り組みだった。午前は汚染水の放出に関するもので、東京電力に廃炉や汚染水、その関連などの内容説明を行うように参加を要請し続けたが、直前になって拒否された。そこで、菅波さんに汚染水放出の内容や問題点を提起してもらい、筆者が進行役となり、参加者と意見交換することにした。
 菅波さんは、福島第一の廃炉の困難、特にデブリの取り出しの困難な状況から、100年以上の隔離保管後の廃炉の提案、海洋投棄を避ける大容量タンク保管やセメント固化など市民委員会がこの間に提言してきた内容を展開した。また、投棄にあたってはALPSで二次処理を行うことになっているが、想定通りに「浄化」できるのか、疑問をぶつけた。
 続いて、後藤政志さん、菅波さん、そして司会の伴も加わり、質疑・意見交換を行った。放出決定への経緯の認識や放出にこだわる理由など、3人の意見が微妙に異なる視点を持っているなど、興味深い意見交換となった。少ない参加者だったが、その分、活発な意見交換となった。
 午後は、「再稼働のもつ危険性・問題」がテーマ。東北大学教授の明日香壽川さんからは「原発は本当に必要か?脱炭素・温暖化対策に役立つのか?」と題して問題提起をいただいた。GX関連法は実際には原発・化石燃料に依存するエネルギーシステムを維持し、経産省により多くの権限と予算を与える法律であること、エネルギー・温暖化対策には原発よりも経済合理性がいっそう高い代替案として、氏が中心に作成した日本版グリーン・ニューディール(レポート2030)を紹介した。最終的には技術や経済性の問題ではなく政治の問題であることなどを詳細なデータを駆使して説得的であった。

※ 日本版グリーン・ニューディールはここからで入手できる

 元原発設計者の後藤政志さんは「原発運転延長・再稼働の危険性」と題して問題提起をした。1号機のベント配管が非常用ガス処理系や換気空調系とつながっており、電源喪失によって隔離弁が開いてしまい、格納容器ベント時に水素を含む放射性物質が1号機のオペレーションフロアに流れ込んだ。またベントラインが排気筒下部までしかなかったことなど、構造的な欠陥があったことを指摘した。福島原発事故後に規制に新たに加えられた基準が4項目ほどあるが、どれも実現しそうもない。氏が評価委員を務めている川内原発では、炉心溶融事故が起きたら原子炉容器破損までに1.4時間しか余裕がなく、対応できない。新規制基準は付け焼き刃であり、設計の専門家としては受け入れ難いと強調した。
 終日の取り組みだったが、議論が深まり充実した分科会となった。

 

(伴 英幸)

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