飯舘村・川俣町・浪江町・富岡町の 避難指示解除

『原子力資料情報室通信』第514号(2017/4/1)より

 

飯舘村・川俣町・浪江町・富岡町の 避難指示解除

政府は、福島第一原発事故により避難指示が出ていた飯舘村・川俣町山木屋地区・浪江町について3月31日に、富岡町について4月1日に、帰還困難区域を除く避難指示解除準備区域と居住制限区域の避難指示を解除した。避難指示が出されたのは計12市町村で、昨年までに6市町村で解除された。今回の一斉解除で避難者全体の約7割が避難解除されたことになり、避難指示区域の面積は約3割まで縮小した。東京電力は、避難指示解除からおおむね1年後の2018年3月をめどに、避難者への補償の打ち切りを行う方針だ。また、避難指示区域外から避難している「自主避難者」については、2017年3月末で住宅無償提供が打ち切られる。

経済産業省「避難指示区域の概念図」 (2017年3月10日現在)

解除対象者は約3万2千人

福島原発事故では、最大164,865人(2012年5月時点)の人々が故郷を追われ、避難を余儀なくされた。6年後の現在もなお、79,446人(2017年2月現在)の避難者が、厳しい避難生活を送っている。
昨年までに避難指示が解除された6市町村では、解除後も住民の帰還は進んでいない。帰還率は、震災発生時の人口と比べて、広野町・田村市で約5~6割、川内村は約2割、楢葉町・葛尾村・南相馬市小高区は放射線量が高い地域のため1割にも満たない(表参照)。
今回避難指示が解除された4町村の解除対象者は32,169人。復興庁が昨年から今年にかけて公表した住民意向調査で「戻りたい」と回答した人の割合は、飯舘村・川俣町で3~4割、浪江町・富岡町では2割未満と低い。6年間に及ぶ避難の長期化で、避難先に生活拠点を築いた住民が多い。

 

家屋解体が進む(浪江町)

浪江町の避難指示解除の対象者は計15,356人(2016年末時点)で、町民の約8割にあたる。復興庁が昨年11月に公表した意向調査の結果では、町に「戻りたい」は17.5%。大半は「戻らない」か「まだ戻れない」と答えている。
避難指示が解除される浪江町役場本庁舎の隣には、仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」が新たにオープンした。避難解除後まもなく、不通だった常磐線がJR浪江駅まで開通する予定だ。浪江駅と駅前商店街を中心に、家屋の解体工事、除染作業、道路の補修工事などが急ピッチで進む。
一方、浪江町住民は、「イノシシ、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、テン、サル…あらゆる動物に荒らされて、家はとても戻れる状態ではない」と話す。多くの家は荒廃して、解体せざるを得ない状態になっている。

廃炉の前線基地(富岡町)

富岡町の避難指示解除の対象者は計9,601人(2017年1月1日時点)で、町民の約7割にあたる。住民意向調査の結果では、町に「戻りたい」は16%にとどまる。
昨年11月には、国道6号線沿いに商業施設「さくらモールとみおか」が開業。3月末にはスーパーやドラッグストアが開店した。隣には、東京電力の原発PR施設「エネルギー館」がある。そのすぐ隣に戸建タイプ50戸、マンションタイプ140戸の復興住宅が建設されている。JR富岡駅はこの近くに移設する計画だ。
町は「廃炉の前線基地」としての役割も担う。日本原子力研究開発機構が建設を進めている「廃炉国際共同研究センター・国際共同研究棟」は、「人材育成、放射性物質の処分方法に関する研究などを行う」施設で、3月末に完成予定。住民の帰還をあてにせず、除染作業員や廃炉作業員、廃炉技術研究者などに「新住民」として移住してもらい、新たに「作業員のまち」をつくる計画が進んでいる。
一方、桜並木で有名な夜ノ森地区など約8km2の帰還困難
区域は現状のまま残る。住民説明会では「帰還困難区域のバリケードを見ながら生活するのか」など、不安を訴える声もあった。

帰村しない住民は切り捨て(飯舘村)

福島第一原発から約40km北東に位置する飯舘村は、帰還に向けて農地も含めた村全体の大規模な除染作業が行われた。除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグは村内に約235万個が仮置場に積み上げられ、除染特別地域(国直轄除染)全体約753万個の3割以上に上る。
避難指示解除を前に、飯舘村の菅野典雄村長は「今後は帰村した住民の支援に重きを置く」と発言して物議を醸した。住民からは、「村に帰らない人は村民ではないという姿勢は絶対反対だ」と憤りの声が上がる。村は解除後の帰還について、「村民が自分たちで判断してほしい」との姿勢だ。

解除の3要件

政府は2011年12月26日、「避難指示解除の要件」として、(1)空間線量率で推定された年間積算線量が20mSv以下になることが確実であること、(2)インフラや生活関連サービスが復旧し、子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進捗すること、(3)県、市町村、住民との十分な協議、の3要件を決定した。2015年6月、政府は帰還困難区域以外の避難指示を2017年3月までに解除する目標を決めた。住民の帰還に向けて除染作業やインフラ整備などを進めてきたが、到底納得できるものではない。

要件(1):被曝を強要

政府が定めた年間20mSvという基準の根拠がおかしい。ICRP勧告および原子炉等規制法などの法令では、公衆被曝限度は年間1mSvである。政府はこれを超える被曝線量でも住民を帰還させているが、最も懸念されるのは健康被害だ。「被曝リスクの高い場所に帰還することはできない 」と住民は反発している。
浪江町と富岡町が解除前に発表した準備宿泊中の個人の被曝線量の試算は、浪江町で年間1.54mSv、富岡町で年間1.52mSv。政府が避難指示解除の基準とする年間20mSv(毎時3.8μSv相当)以下だが、いずれも年間公衆被曝限度を上回っており、政府が言う「安心・安全」が保障されている状態ではない。
住民説明会で政府は、除染が完了したことを避難解除の根拠として説明してきた。しかし、除染しても年間1mSv(毎時0.23μSv相当以上が政府の除染基準)を下回らないにもかかわらず、避難解除を強行することに対して、「除染しただけで帰還させるのか」、「被曝を強要するのか」など住民から強い反発があった。

要件(2):買い物は隣街

昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高区には、震災前にスーパーが6軒、ホームセンターが2軒、魚屋が6軒、薬局が3軒あった。ところが震災でそれらが全てなくなった。避難指示解除後にようやくコンビニが2軒オープンしたばかりだが、JR小高駅周辺の住宅地からは遠く、歩いて行けない。診療所は再開したが、薬局がないため処方された薬を買うことができない。帰還した住民は、車で20分ほどかけて約10km離れた隣の原町区まで買い物や用事を足しに行く。高齢者など車がない住民は生活が困難だ。「赤字が目に見えているから、店の再開には誰も手を挙げない」という。客となる住民が戻らないために店舗も再開できないという悪循環が続いている。

要件(3):住民の意向は切り捨て

住民説明会では、解除に賛成する意見はほとんどなく、9割以上が反対の意見だった。いつも紋切型の説明で、政府と自治体の一方的な意向によって解除が押し切られてしまった。
「避難解除は時期尚早だ」。2月7日、浪江町の住民説明会で住民の一人が訴えた。都内で避難生活を送る74歳の女性は、みなし仮設として認定された東京都内の1LKの公団住宅(UR賃貸住宅)で、月々10万円の精神的賠償と年金で暮らしてきた。今後賠償が打ち切られて、仮に現在住んでいる住宅に住み続ける場合、家賃は10万円を超える見込みだ。「この先何年払えるか、払えなくなったらどうなるのだろうか…」いつも不安を募らせる。避難指示が解除された瞬間に自分も「自主避難者」になってしまう。
女性は「安全だから浪江町に帰れ、と言われても私は帰りません」と話した。 自宅の除染は終わったが、庭が毎時0.4μSv、居間は毎時0.6μSvと高線量だ。これに対して、浪江町の馬場<RUBY CHAR=”有”,”たもつ”>町長は、「町に戻って生活する環境は整った」と繰り返し答弁するばかりだった。
「安全と言うならまず政府の役人が住んでみろ」、「仮に帰還しても、危険な廃炉作業が続くそばで暮らすのに、補償を打ち切るのか」、「政府や町は住民の安心・安全のために努力するというが、まったく信用できない」など、多くの住民から厳しい意見が相次いだ。しかし、この説明会後の2月27日に、浪江町は国の避難指示解除の方針を受け入れ、3月末の解除が正式に決定した。解除に反対していた多くの住民の意見は切り捨てられた。

おわりに

昨年12月20日、政府は「福島復興加速化指針」を閣議決定した。帰還困難区域の一部に「復興拠点」を整備し、国費で除染して5年後をめどに避難指示を解除して帰還を進める方針だ。帰還困難区域は、双葉・大熊・富岡・浪江・飯舘・葛尾・南相馬の7市町村にまたがり、大熊町は62%、双葉町は町域の96%を占める。対象人口は計約24,000人だ。
しかし、政府の帰還政策は破綻をきたしている。帰還政策ではなく、現状に即した「避難政策」を定めるべきだ。帰還する人も、避難を続ける人も、どちらも健康で文化的な生活を送れるように、経済的、社会的、健康的なサポートを行える施策を早急に策定すべきだ。

(片岡遼平)